「強い」オタクを目指すのをやめた話

こんにちは。はくりんです。

最近はSNSなどの流行により、多くの他のオタクを目にする機会が増えました。これには多くの人と繋がりやすくなったという利点がある反面、嫌でも好ましくない意見が目に入ってしまうなどの欠点もあります。

そして、多くの人を目にする機会が増えた以上、他人を意識する機会も増えているのではないかと思います。他人を顧みず自己の上達のみに熱中した、古の「職人型」のオタクは絶滅危惧種となり、我々がオタクを続けていく上で、多かれ少なかれ他のオタクの影響を受けていることを否定することはできないでしょう。

他人を意識する機会が増えることには、主にオタクとしての向上心を持つ方にはメリットも多いですが、場合によっては精神的なストレスに繋がってしまうことも多いと思われます。僕もそのうちの1人で、「オタクとして他人からどう思われているか」、特に「他人から大したことないやつだと思われないか」というのを必要以上に気にするあまり、ストレスをため込んでいたことに最近になってようやく気がつきました。

今回はそんな僕が「強い」オタクを目指すのをやめた話について書いていこうと思います。あくまで僕個人がこうした、というだけの話ですので、他人に同じ考えを強要するものではありません。

 

 1)そもそも「強い」オタクって何だろう

そもそもの話、強いオタクの定義は他人によって違うと思います(括弧付けしたのもそのためです。)。そしてそれには、個人のバイアスがかかっていることは言うまでもありません。例えばの話、沢山課金する人は沢山課金している人が強いオタクだと思うでしょうし、イベントに沢山行く人は、イベントに沢山行く人を強いオタクだと思うでしょう。要するに、強いオタク像は人によって異なるので、明確な定義は無いと思います。

 

2)漠然とした「強い」オタク像をあまりにも真に受けすぎてしまった

僕自身は個別に尊敬する人が何人かいるだけで、こういう属性をもって「この人は「強い」オタクだ」などと考えたことはありませんが、それにもかかわらず他人の「強い」オタク像というものをあまりにも意識しすぎていたことに気がつきました。例えば、オタクとして強くなろうと意識するあまり、あんまり走る気のないイベントを走ってみたり、そこまで行く気のないイベントに行ったりもしました。それで得られたものも無くはありませんが、恐らくその分のお金や時間を自分が本当にやりたいことに使った方が、得られたものは大きかったように思います。また、「強い」オタクになることを目指すあまり、金銭的・体力的に自分が本当にやりたいことができずストレスになっていることにも気づきました。そもそも強いオタク像は十人十色なので、そのすべてに応えることは不可能です。要するに、他人から見た「強い」オタクになることを意識してしまうあまり(しかもそれも中途半端)、本当に自分のやりたいことを見失っていたように思います。

 

3)あくまで他者目線の承認欲求より自己目線での自己肯定感を

Twitterは承認欲求を満たすためのツールでもあると思いますし、僕も承認欲求を満たしたくなる時はあります。ただ、それにあまりに依存しすぎると、本来の自分のやりたいことを見失ってしまうように思います。そこで、「他人から強いオタクだと思われたい」という、あくまで外的なものである承認欲求より、「自分はこれだけ熱を込めてきたから、これに関しては誰にも負けないぞ」といったような内的な、自己目線での自己肯定感を大事にするようになりました。他人目線でどう思われているかは知りませんが、今の自分は昔の自分より、よっぽど自分らしく、芯を持ってオタクが出来ているように思います。

 

4)趣味くらい、自分の好きなようにやろう

Twitterを見ていると、「こういうオタクは信用できない」とか「こういうオタクは伸びない」などといったような意見が散見されますが、それら全てを真に受ける必要はないと思います。その全てに応えていては本来の自分を見失ってしまいますし、場合によってはストレスになる可能性もあります。何より他人から信用されるためにオタクをしているのではありません。(勿論最低限の常識やモラルはわきまえつつ、)自分の趣味くらい、ストレスを溜めずに自分が好きなように楽しむことをお勧めします。

勿論このブログの意見も、必ずしも真に受ける必要はないです。

 

以上です。僕は承認欲求の為にオタクをするのはやめましたが、その分自分のやりたいことに関しては、今まで以上にリソースを割いて頑張っていこうと思っています。こんな駄文ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。