徒然草になろう!

開成高校の落ちこぼれから一橋大学の落ちこぼれになった人間のブログ。色々書いていきます。

名門中学校に入っても必ずしも幸せになれるわけじゃないよって話

注意

この記事の内容は人を不快にしかねない内容を含んでいます。見たくない人はブラウザバック推奨です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学歴を手に入れれば幸せになれると考える人は多いでしょう。

確かに、学歴を手に入れれば大手企業への就職がしやすくなり、収入面で安定はしやすくなるでしょう。また、医者や博士など、学歴がないとほぼなれないような職業もあります。受験生やその親が受験に熱心になるのも分かります。

では、幸せになれるかどうかといえばどうでしょうか。確かに収入が安定しない状況で幸せになるのは難しいことでしょう。ですが、高い学歴を手に入れたにもかかわらず幸せになることができない人間が多いのもまた事実です。電通での東大OBの過労死事故は記憶に新しいでしょう。そうでなくとも、高学歴ワープアポスドク問題など、高学歴を取り巻く問題は少なくありません(勿論所謂低学歴の人にこれらの悩みが無いとは言いません)。これらの問題については僕はあまり詳しくないので専門家の人に投げますが、ここでは僕は自分の実体験をもとに、精神面での高学歴の苦悩について述べていきたいと思います。

 自分で言うのも難ですが、僕は小学生の頃は少なくとも勉強はできました。小学生の頃についたあだ名は「算数の天才」「歩く百科事典」など、その勉強面の能力の高さを象徴するものでした。僕はこれらのあだ名があまり気に入りませんでしたが、甘んじて受け入れていました。勉強ができる反面、人付き合いや運動面の能力は最低レベルで、それで人に迷惑をかけることも多かった記憶があります。勉強だけが取り柄だった僕は、親から言われるがままに受験勉強を続け、塾から言われるがままに西日暮里の名門中学を受け、無事合格しそこに入学しました。

しかし中学に入学してみると、周りは僕と同じかそれ以上に勉強が出来るため勉強ができるということはさしたる取り柄でもなくなってしまい、その上で人付き合いの能力や運動能力が高い人をたくさん見たことにより僕は強い劣等感を感じるようになりました。かといって勉強面以外での能力は散々だったので新しい特技を探すことも出来ず、部活も長続きしませんでした。人間関係でもうまくいかず、特に親友だと思っていた人間に裏切られたときは酷くショックを受けました。成績も徐々に下がっていき、中3の頃には一夜漬けで赤点をギリギリ回避する作業を続けていました。

そんな僕も高校に上がると英語で偏差値40を取り流石にショックを受けたのか、塾に通い英語だけは勉強するようになりました。すると高校から加わった世界史を得意科目にしたのもあってか成績は少しだけ改善のきざしを見せ始めました。しかし相変わらず人間関係はうまくいかず、また中学時代の友人関係のトラウマもあってか次第に一部の人以外との人付き合いを拒むようになっていきました。

高2に上がると皆が受験を意識し始める中で、僕も何となく「東大受けるんだろうな~」と思っていました。また、学校の一大イベントである運動会の準備が始まり、僕は今まで避けてきた学校行事に向き合っていかなければならないことを意識させられました。しかし今まで人付き合いや学校行事に向き合ってきた人間とそれを放棄してネットサーフィンばかりしてきた僕の間では能力の違いは歴然としており、僕は何度も自分の無能さに苛まれました。精神病にかかった僕は自分の人生について考え直し、もし東大に入れても周りや周りの評価と自分自身の本来の能力との差で惨めな思いをするだけだと考え、一橋なら今まで上手くいかなかった人間関係をリセットでき、こんな不肖息子をここまで育ててくれた親に迷惑をかけることも周りから落ちこぼれと蔑まれることもなく、かといって知名度はそこまで高くないから目立ちすぎることもなく静かに暮らせると思い、もともとキャンパスの雰囲気は好きだったのもあって一橋を目指すことを決めました。模試で社会が加わると僕の成績は十分東大を目指せるレベルに達しており、担任からも東大を目指してみないかと言われましたが、小学生時代に塾に言われるまま進路を決めて後悔した記憶のある僕は自分の信念を貫き通すことを決め、周りの多くが東大や医学部を目指す中で一人一橋に向けての勉強を続けました(一橋を目指していたことは一部の友人以外には言っていなかった)。定期的に「自分の選んだ道は本当に正しかったのか?」という問いに悩まされ、夏休みには体調を壊すまでになりながらも、なんとか一橋の合格を勝ち取りました。

しかし一橋は当初僕が想定していたようなところではありませんでした。進学校出身の人はそれなりにいましたが、やはり僕のいた高校レベルになると珍しいのか、皆高校名を聞くと過剰に反応を示すようになりました。サークルの新歓や自己紹介で高校名を言わないでいることはほぼ不可能に近いので、自分の生徒はいえ母校にいい思い出がなく 、自己評価も低かった自分にとって高校名だけでいちいち過剰反応されるのは精神的に来るものがあり、かといって「その高校から一橋来るのは落ちこぼれだよね」などと言われると自分の信念で進路を決めた自分としては辛いことこの上ないうえ、開き直って落ちこぼれだと宣言するのも浪人した人の気持ちを考えると憚られるのでどうすることもできず、次第にサークルの新歓にすら顔を見せるのが嫌になってきました。そして皆が新歓期を楽しむ中で、僕は一人鬱病となりカウンセリングルームに吸い寄せられていきました。

これは僕個人の体験であり一般化できるものではなく、普通の人にとってはやはり高い学歴を手に入れた方が良いのも事実かもしれませんが、僕のように中学の時点で運良く(悪く?)高い学歴を手にしてしまったが故に精神を病んでしまった人間もいるというのも事実であるということを知って欲しいと思います。僕は高い学歴を手に入れることや中学受験を否定するわけではありませんが、親や教員には「○○に合格したら人生安泰だよ!」と言ったり、子供の進路を勝手に決めたりするべきではないと思っています。僕自身も一橋に入って鬱が再発したのは事実ですが、たとえ東大に入っていたとしてもその選択を後悔するのが容易に想像できるので自分の選択は間違っていたとは思っていません。とにかく自分は、自分が引いた線路の上で、自分らしい道を生きていけるように、今からでも少しずつ努力していこうと思います。